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家紋入り風呂敷の由来 ~風呂敷の歴史~

家紋入り風呂敷の由来 ~風呂敷の歴史~

みなさま、こんにちは。

京都の風呂敷製造・卸、山田繊維㈱の杉江です。

 

前回お話しした風呂敷の歴史の続きになりますが、
ちょっと振り返ってみます。

 

風呂はもともと蒸し風呂、イメージとしてはサウナのようなものでした。

 

画像2 サウナ.JPG

さてどのくらいの間隔で入っていたと思われますか?

 

身を清めるために行うものでしたので、妙心寺では、
4と9が付く日に沐浴がされていました。

4(死)、9(苦)から解き放たれるこの日に
されていたと推測されます。

 

また月に1度、「施浴」という看板が掛けられ、
一般にも浴室を開放していたとされています。

貧しい人々や病人、囚人らを対象に
施浴をしていた寺院もありました。

画像1 施浴.JPG 

この入浴も現在のようにハダカでなく、
白衣を着用し入ることが作法であったようです。

 

時を経て、室町時代の風呂も蒸し風呂でしたが、

将軍義満は大湯殿を建て、
ここに大名を招いたという記録が残されています。

 

入浴の際、他者の衣服と間違えないように

家紋が入った布で自分の衣服を包んだようです。

またこの布上で着衣を整えたといわれ、

一説に、この敷布を風呂敷と呼んだ起源とされています。

 

家紋が入っており、誰のものかすぐに識別できますが、

ここである疑問があります。

 

家紋が入った布上で着替える・・・

大切な布の家紋部分を踏んだり、
腰をおろし、着脱をしてなかったでしょうか?

家紋(家系)を汚すといった行為とも取れないでしょうか?

 

少し考えすぎかもしれません。

さて皆様はどう考えられますか?

 

京都の風呂敷メーカー山田繊維㈱の杉江でした。